インドと宗教
今日は、以前インドに行ったことを思い出したので、インドとヒンドゥー教について考えます。
インドは数多くの宗教があり、それらは互いに邪魔せず共存しています。日本以外の国では宗教は争いの元になると考えがちですが、インドには当てはまりません。宗教が認め合っています。宗教のまじりあっているところは日本と似ていますが、宗教を重要視している度合いは全く異なっており、生活に根差した信仰があります。この辺りはまた書きたいところです。
ヒンドゥー教は仏教のもとになったものであり、考え方の中の一つに輪廻転生があります。前世の行いで今の境遇がある、今の生まれで善行を積んで、来世ではより良い身分で生まれよう、というものです。これが発展して、輪廻転生→生まれがすべて→カースト制度の根拠、になってしまっていました。
ところで、宗教はいつでも、貧しい人たちの心のよりどころです。実際、ガンジス川ほとりの聖地の一つを訪れると、貧しい街ながらも多くの人がより良い来世を願って沐浴していました。
一方で、列車の中で出会った高クラスの人たちと話してみると、一応ヒンドゥー教徒だけど沐浴なんてしない人ばかりでした。「デリーの水はガンジス川からとっているわけだから、シャワーを浴びれば沐浴も同然だよ、HAHAHA」といった具合です。宗教に厳しそうなインドでも、日本と同じような立派な暮らしができている人は、日本と同じように無宗教に近い人が多いのでした。
ここで、何だか悲しくなる構図があります。貧しい人は神に祈るばかりで、神が「生まれがすべてである」と言うため現世の出世を考えず来世に希望を託します。豊かな人は神に祈ることをせず、現世を楽しく生きています。
これが逆ならきっと発展するだろうに!
貧しい人が生まれがすべてなんて考えの宗教にはまらず、上を目指して生きられれば。豊かな人が神のおかげだと日々つつましく、来世のため功徳を積めば。
インドの格差は、インド人の宗教という考え方の根底から来ているものなのだろうと思います。
なんだかオチのない話をしてしまいました。
つまり何が言いたいかというと、いろんな考えを持つって大事ということ。いろんな角度の意見を知って、取捨選択をしながら、自分の考えを持っていく。
貧しいインド人は考え方を知らないのだと思います。幸い日本は情報にあふれているのだから、いろんな意見を取り入れたい所です。このブログも、私の考えたことを垂れ流すことで、皆さんの取り入れる意見の一つになれたら幸いです。